高槻市の寒天づくり
2026-01-28 14:46:48

江戸時代の伝統を守る、高槻市の寒天づくり最盛期!

江戸時代から続く高槻市の冬の風物詩、寒天づくり



高槻市では、江戸時代から続く伝統的な製造業「寒天づくり」が現在最盛期を迎えています。令和8年1月28日、寒空の下で行われた寒天づくりを象徴する作業、天突きが見られました。製造を手掛けるのは、この地で唯一の「株式会社タニチ」です。圧力をかけてところてんを押し出す「天突き」の技術と、天日干しのために並べられたところてんの光景は、冬の高槻市の魅力を存分に感じさせてくれます。

寒天づくりの歴史は、今から約250年前にさかのぼります。天明年間、地元出身の宮田半平が伏見で修行し、高槻市にその技術を持ち帰ったことが始まりのようです。当時の高槻市は、原材料や製品の輸送に便利な立地にあり、冬の冷涼な気候と広い土地が寒天生産に最適でした。そんな理由から、江戸時代の後期には国内屈指の生産量を誇るようになりました。

しかし、近年では生産量が減少し、現在では寒天を製造するのは「株式会社タニチ」だけとなっています。この企業は、伝統に則り田能地区の厳しい寒さを利用して寒天を製造しています。毎年1月中旬から海藻を煮て寒天成分を抽出し、そこから不純物を取り除く作業が始まります。そうして作られたところてんは、1月下旬から約2週間にわたって天日干しで乾燥させられ、ついに寒天として完成するのです。

本日、寒空の中で作業を行う福田耕平センター長は、ところてんを「天筒」へ入れて押し出す工程を担当しました。この作業を終えると、12メートル×1.5メートルの台には大量のところてんが敷き詰められ、昔ながらの天日干しの風景が広がります。

「昨年は気温が高く、寒天づくりができるか不安でした。ですが、新年を迎えて気温がぐっと下がり、安堵しています。私たちはこの伝統を絶やさないよう、これからも寒天づくりを続けていきたい」と福田センター長は力強く語ります。

寒天は、その生産過程において多くの人々の努力と伝統が込められており、我々の食卓だけでなく地域文化の一部としても大切な存在です。高槻市での寒天づくりは、単なる製造行為ではなく、過去から現在、さらには未来へと受け継がれていく文化そのものなのです。寒天の製造が行われる寒い季節は、地域の風物詩として年々その重要性が増しています。

高槻市の冬の風物詩として、ぜひ一度訪れてみてはどうでしょうか。寒天づくりの現場を見学しながら、その文化と歴史に触れてみるのも良いかもしれません。


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